不幸な自己同一化を防ぐ基本

あなたは自己同一化という言葉を
聞いたことはありますか?

自己同一化とは、
簡単に言うと、
自分と他人やあるモノの考え方や肩書などが
同一化している状態のことを言います。

例えば、
心理学と自己同一化している人は
心理学を否定されるようなことを言われると
まるで自分自身が否定されたように感じます。

自分の学歴と自己同一化している人は
自分より高い学歴の人に会うと
劣等感を感じてしまいます。

有名企業の部長という肩書と自己同一化している人は、
その企業が批判されると自分が批判されていると感じます。

自分の子供と自己同一化している親は、
子供が自分の思い通りに動かないと
ものすごくストレスを感じます。

もちろん、
悪いことばかりではなく
この逆で自己同一化している対象が褒められると
自分が褒められているように感じます。

ですが、
現実には何かと自己同一化することで
生きにくくなっている人の方が多いわけです。

だって、
自分とは本当は関係のない人やモノのことで
いちいち喜んだり傷ついたりするわけですから、
そりゃしんどいですよ。

ここまで自分以外の何かに自己同一化していなくても
自分の感情に振り回されることは誰しも経験あるでしょう。

実は、
感情に振り回されるのも
自己同一化の一種なのです。

この自己同一化というものから開放されると
人生は格段に生きやすくなります。

では、
自己同一化の正体とは?

その根底にあるのは、

自分の心を自分だと思ってることです。

喜んだり、
悲しんだり、
笑ったり、
怒ったり、

これらって実は自分じゃないんです。

だって、
もしこれら心が自分だとしたら、
あなたという存在はそんなにコロコロ変わるのでしょうか?

ここで言葉の分析をしてみましょう。

喜んでいる自分、
悲しんでいる自分、
笑っている自分、
怒っている自分、

○○な自分という言葉の構成からわかるように、
「○○=自分」ではないですよね?

だって、
あなたは喜びですか?
あなたは悲しみですか?
あなたは笑いですか?
あなたは怒りですか?

どれも違いますよね。

また、
感情だけではなく、
仕事をしている自分、
親としての自分、
子としての自分、
姉としての自分、
友人としての自分、

と、生活をしていれば
いろいろな自分がいるはずです。

しかし、
あなた=仕事ですか?
あなた=親ですか?
あなた=子ですか?
あなた=姉ですか?
あなた=友人ですか?

どれもあなた自身ではないですよね?

つまり、
自分というのは常に変わらない存在で、
喜んだり、悲しんだり、笑ったり、怒ったりしている
心を客観的に見ている存在が自分なのです。

でも、
多くの人はこれに気づいてないので、
喜びや悲しみと自己同一化してしまうわけです。

逆に、
心は自分ではないと気づいている人は、

「今、心が喜んでいる」
「今、心が悲しんでいる」

と俯瞰した視点で変わらない自分から
心の状態を観察します。

こうすることで
感情に振り回されずに済むのです。

例えば、
会社の上司に叱責をされたり
お客さんにクレームを言われている時に、
感情と自己同一化をする人は
ものすごくダメージを受けます。

しかし、
自分と感情は別だとわかっている人は、

「今、上司に叱られている自分がいる」
「上司は顔を真赤にしてまくし立ててるなぁ」
「そして、それに萎縮している自分がいるなぁ」

と、客観視するので、
もろにダメージを喰らいません。

「今、お客さんがめっちゃクレーム言ってる」
「私はペコペコ申し訳なさそうに頭を下げてる」
「お客さんはますますクレームを大声で言ってる」
「おさまるまで時間かかりそうだなぁ」

と、状況を冷静に俯瞰しているので、
その時の心と自分が同一化されずに済みます。

つまり、
自分は常に変わらないのです。

でも、
こう話すと中には

悲しみや怒りは同一化したくないけど
喜びや笑いも同一化しなくなったら
つまらない人生になるのでは?

と疑問を持つ人もいるかもしれません。

しかし、
苦楽は表裏一体です。

喜びに自己同一化すると、
今よりももっと大きな喜びじゃないと
心が喜ばなくなります。

まるで
一度贅沢を覚えると
前の生活に戻れないように。

しかし、
喜びを求める欲求は際限がないため
いつかはその喜びが手に入らなくなります。

その時に待ち受けている感情は何でしょう?

苦しみですよね。

悪い意味で当たり前のレベルが上がっているわけです。

恋愛や夫婦関係でも
まだ付き合う前の恋をし始めの頃は、
たまに話しができるだけでも嬉しかった。

すれ違う時に目が合うだけでもドキドキした。

やがて、
連絡先を交換して連絡を取り合うようになり
たまにデートするだけでも幸せだった。

そして
もっと一緒にいたいと思って
同棲をしたり結婚をしたりする。

初めのうちは幸せだったのに、
だんだんとそれが当たり前になって
喜びが薄れていく。

これが
喜びと自己同一化をした状態です。

でも、
普通の人はみんなこんな感じですよね?

だから
世の中から悩みが無くならないわけです。

悩みの根源は過剰な自己同一化。

もちろん、
全く心の影響を受けないというのは
悟りでも開かないと難しいのでしょうが、
一歩引いて揺れ動く心を楽しむことで
感情に振り回されにくくなります。

「あ、今彼に褒められて私喜んでいる」
「さっきまで遅刻したことで怒ってたのに」
「私って、結構単純で可愛いやつ」

みたいに、
自分の心と自分を分けるほうが
人生の快適度は上がります。

いつも一緒の心ですらそうなのですから、
自分以外の他人や考え方や肩書なんかと
自己同一化してしまったら、
どれだけ窮屈な人生になることか。

 

 

 

 

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コメント / トラックバック 2 件

:北山|

「心」が自分でなかったとは、自分にとって空恐ろしい事実を知ってしまったという感じです。
全身の毛髪を全て引き千切られたくらいのインパクトがあります。
「私から何もそこまで持って(心まで奪って)いかなくてもいいじゃないですか」と泣き言がでます。

それくらい自分は、自分の心に執着していたと思います。

しかし、自分からは死ぬまで手放すことはなかったであろう「心」を手放すことへの意識が芽生えました。
「心」という言葉を使って表現すると、今はとても心が軽いです。
感情に右往左往することが無い世界があるなら見てみたい、という欲が溢れて来ます。

自分の気持ちを大事にする、自分の心に素直になる、心の声に耳を傾ける、心で会話する、人間には心がある、などなど「心」に関しては「お金より大切なもの」と表現するくらい特別視する価値観がありましたが、「心」を客観的に見つめる「自分」こそが主観であると知ることが出来ました。
自分の価値観はまたもや逆転することになりました。

自分の心に自己同一化しない、という自分の行動原理を根底から覆す教えを頂き、ありがとうございます。
今までの自分がもう小さく見えてきたように思います。

暁葉輝

良くも悪くも 自分を誤魔化してないと この世は生きられない 
冤罪押し付けられて 泣き寝入りが当たり前の 加害者保護 被害者排除だらけ とくに加害者が 公的難病や 人格障害だと 与論や法律の世界は 
加害者保護 被害者排除は当たり前です
被害者から加害者になってる輩達は 都合悪くなると 記憶障害になる 
悪の同一化の偽善者も多い
誤字や誤解招く文章があるかもですが 嘘はありません

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